あらかじめ疎外された子どもたちへ
『newspaper version エイジ 1998.6.29〜8.15』について
長谷川集平
山本周五郎賞を受賞した『エイジ』は、去年朝日新聞に連載された小説とはまったく別モノだった。重松清はひとつのところに立ち止まっていない、器が変われば料理も変えるよ、というフットワークを見せつけるような仕事だと思った。「おとなの本」らしく挿絵は入っていない。ぼくの絵は結局カバーにちょっとだけデザイン的に使われただけだし、話の中身が違うのだからあの本には合わなかったのではないかしら。ここだけの話だけど、ぼくはあれが出た後、ずいぶん長い間機嫌が悪くて、関係ない人に八つ当たりした。さぞ迷惑なやつだっただろう。
わが本職は絵本作家だが、このところ出版の機会がめっきり減った。それに品切れ絶版がやたら多く、町に出ても書店で自分の本を見つけられない。 そういう中で、だいぶ前から言われ続けてきたのが「集平さんなら中学生向けの本が書けると思うなあ。今の中学生に読ませたい本があんまりないんですよ。なんとかしてください」。職業柄、小中学校の教師や親と話すことが多いし、片方で無名のロックユニットをやっていて、ライブハウスの楽屋で若いやつらといつも莫迦話しているので、そう言われる理由はよくわかっていた。でも「書けると思うけど、書かせてもらえないのよ」というのが、ぼくの決まり文句だった。
児童書出版社は中学生向けの本を出すのをためらっているところがある。思春期の、子どもともおとなとも言えない人たち。彼らの側に立ってマジに書けば、アメリカで図書館から追い出されたサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のような反抗の文学になりかねない。児童書の世界は反抗の姿勢を嫌う。それなのに、おとな側のスタンスは長い間見失われたままだ。この手の本は商売にならないという「常識」もある。読まないし、売れないというのだ。そうさせた責任はどこにあるのだ、と言いたくなるところだが、とにかく中学生向けの文学というのは、ひどくマイナーな扱いを受けているんである。
だから『エイジ』連載41回の挿絵には精魂こめた。依頼を受けたとき、チャンスだと思った。『ナイフ』を書いた重松さんが投げてくる少年像をきっちりキャッチして絵画化するのがもちろん第一だが、少しぼくのメッセージも込められないだろうか。人の手紙にこっそり暗号文を忍ばせるみたいで、ずるいっちゃずるいのだが、画家のこれは特権でもあると思う。
ぼくはあの絵をマックで描いた。連載小説の挿絵をデータ入力するのは初めてのことだったらしく、新聞社では大騒ぎしていた。けど、これはぼくのように辺境で印刷用の絵を描いている者にとっては、すでに当たり前のプロセスだし、それが「現代」ということなのではないかと思う。挿絵を絵本的に構成する、という試みもしてみた。実は同じ構図の絵が数組、物語の前半と後半で響き合っている。そんなところや、当然一枚一枚の絵、登場人物の表情、コスチューム、大道具小道具、光と陰、遠近法に意味を込めていった。集めた資料は今も部屋の隅に山積みになっている。今のぼくは今の君たちをこう見ているよ。君たちが見ている同じことが、ぼくにはこう見えるよ。重松さんの文章がまた煽るもんだから、絵の温度は急激に上昇していった。
それが日の目を見ないというのでたいへんに不機嫌だったわけだが、ノリのいい重松さんと書籍編集部から、思いがけず新聞掲載版の『エイジ』を出したいと言われて、ぼくはいっぺんにお調子者に戻った。単純なもんだ。装幀もノリノリで「子どもの本」には前例のないようなカッコいい本に仕上がったと思う。右に書いた絵本的な構成を前面に出した。
酔って「今度の本は、ぜったいオレと集平さんの名前を対等に扱えよ」と話す重松さんを、ぼくはほれぼれと眺め、深い感動を覚えた。それで、この本がだれに読まれるかを、あらかじめ知っているような錯覚を持ったほどだ。この本は、これまで本を他人の目で読まされてきた人たちが、初めて自分の目で読む本になってくれるはずだ。