アイゲリ!

コラム06
「シューヘー通信」30号(2002年10月)



インタビュー
シューヘーなんでもベスト3 第7回「アイルランド音楽に関する事柄」
より抜粋
集平 ぼくの1番はアイルランド音楽を聴いてきて、なるほどと思った話です。口伝えで音楽を伝えてきたアイルランド人が大量にアメリカに移民した。差別されて、就ける職種が限られていて、多くの男たちが警察官や消防夫、兵隊になった。シカゴ警察の所長フランシス・オニールもその1人。フルート吹きで、楽団を作り、警察内で採譜し始めた。これがアイルランド音楽が知られていく大きなきっかけになって、今は世界に普及してる。長崎のくんちっていう祭りに、シャギリという笛と太鼓の音楽があるんだけど、いまだに楽譜には書けないと言い張ってる。シャギリをやる人たちの特権意識、確かに特権があって彼らはお金を稼いでるから、人にむやみに教えて普及させたくないわけだ。

クン 神事だしね。

集平 同じ民族音楽でもまったく違う方向を見てる。アイルランド音楽にも微妙な節まわしやこぶしなんかがあるけど、フランシス・オニールは肝心のメロディラインだけを楽譜にして、無理に音符にしてない。非常に節操がある。きれいな仕事だな。ぼくらはその楽譜をもとに、独特の節回しやこぶし回しを見たり聴いたりして覚えてくしかない。それで充分なんだよ。そういうアイルランド音楽が目指す方向が素敵だと思う。ぼくらその音楽によって励まされてるんだから。クンは?

クン わたしはバウロンです。たぶん日本人のほとんどが、楽器演奏はなにか特別な人だけができるものだって思ってるよね。アイルランド音楽はほんとに誰でもできる。これまで何度もドラムにトライして全くできなかったので、「わたしはリズム感が悪い、打楽器はダメだ」って思ってたのに、バウロンはすぐに叩けたのでびっくりしたよ。

集平 バウロンも教則ビデオや教則本で学べるもんね。

クン 音楽自体がネアカだよね。できないっていうコンプレックスにアクセントを置くんじゃなくて、誰でもできるレベルでも充分楽しめることを発見できた。

集平 ぼくの2番目も似たようなことで、ホイッスル1本持ち歩くようになって、ほんとに人生変わったってこと。こないだ伊規須美春さんの遺作出版パーティに出かけて、ああいう場ってほとんど音楽がないでしょ。まさか遺作の出版記念会でカラオケやる人もいないし、みんな最後までしみじみと話してたんだ。それで最後にぼくが笛を取り出してポルカを1曲吹いたら、えらい場が和んじゃって結局何曲も吹いた。リコーダーを立派に吹いたりすると威張った感じになるんだけど、ホイッスルは人を和やかにさせるよね。坂本九が歌った大好きな歌で「エンピツ一本」というのがある。ポケットの中に鉛筆1本入れとけば、どんな思い出も想いも書けるという歌詞。ぼくもリュックに笛を入れてるだけで人生が楽しくなっちゃった。

クン 音楽と一緒に歩いてる。

集平 ホイッスルはアイルランド独自の楽器だったわけではない。特にティンホイッスルはイギリス人が作った子ども向けのおもちゃの笛を流用してるだけ。そんなもんで音楽ができる。昔ブラジル人の友だちに「マッチ箱1個あればリズムとりながら音楽できる」って言われて実際やってみたけど、楽しい音楽にはできなかった。テクニックがいるし、マッチ箱だけのリズムにのせて歌える歌をぼくらは持ち合わせてない。だから笛が1本といいメロディがあればいいなあ、と。

クン 結局アイルランド人が音楽に対してどういう向き合い方をして、どういうふう愛してきたかよね。

 2番目はダンスです。わたし小さいときにバレエをやってたんだけど、踊るのはレッスンの時間と発表会の時だけだった。ところがアイルランドの人たちは毎晩茶の間で生演奏にあわせて、普段着のまま踊ってる。生活の中に溶け込んだものなんだよ。わたしがやってたバレエみたいにレコードに合わせて踊るなんて考えられないし、いわゆるお稽古ごととは全く違うものだった。

── 家族みんなで台所でセッションしたり、近所の人と集まって気軽に音楽を楽しんだりなんて、本のベスト3に出てきた『夜の三角形』の「もっと素敵な夜の過ごし方があるはずなのです。その昔、歌声が行き交った夜とぼくらの夜は、時間を計れば同じ長さなのです」そのままですよね。アイルランドの人のほうが、日本の人より楽しい時間をたくさん過ごしてるなと思います。

集平 ぼくらが知ってる文化・芸術は大方特権的なものを目指してくね。ヴァイオリンなら人にできない技を持ってるとか、賞を獲ったり評価されたり。絵でも小説でもそうだよ。でもアイルランド音楽は自分や隣人の糧になってく音楽なんだよね。

クン ごはん食べるようにね。

集平 うん。それがないと彼らは生きてけない。「いい趣味をお持ちですね」なんてことじゃなく、生活必需品だ。生活に余裕があるから音楽やるというんじゃないんだ。生活に余裕がないけど音楽はあるよ、という。生活の中で喜ばれる料理がどんどんおいしくなってくのと同じように、音楽もどんどん楽しく豊かなものになってく。もしぼくらがそれを目指すとしたら何百年かかるんだろうって思うけど、やっぱり目指したいな。そういう方向づけだけでもしときたい。

 3番目は人間をワクワクさせるロックンロールのビートの基礎になったリールとジグというふたつの舞曲。リールは8ビート、ジグはシャッフルビート。あとはエアーというゆっくりした歌。他にワルツやいくつかのリズムがあるけど、やっぱりダンスビートといえばリールかジグで、ロックにそのまま持ち込まれてる。ビーチボーイズの、特に初期のレコードを聴くと、6〜7割くらいがダンスビートで、3〜4割くらいがソング。それってアイルランド音楽のレコードと同じ構成なの。アイルランドという特殊な地域で培われてきた音楽が、ロックンロールという普遍的な音楽に昇華してくのは実にダイナミックで見事な歴史の流れだね。

クン 3番目はジャッキー・デイリー。人口350万人しかいないアイルランドには天才がいっぱいいて、その中でもジャッキー・デイリーが大好きです。彼の音色を聴くだけで泣けてきます。

集平脳の手術をしたっていうのも他人事じゃないんだね。親しみを覚えるんでしょう。

クン 「脳味噌さん」と呼んでます。脳腫瘍かなんかで開頭手術して、リハビリで復活して、今はパトリック・ストリートというバンドでやってる。もともとはデ・ダナンでアコーディオンを弾いてました。

集平 ジャッキー・デイリーはリールやジグをやらせても最高だけど、本人はポルカやスライドなんていうもっと素朴なダンスミュージックが好きでよく演奏してる。ケビン・バークっていう人がジャッキー・デイリーがポルカやスライドばっかりやりたがるから、脳の手術する時に「リールやジグを入れといてもらえ」って言ったらしい。手術が成功して快復したジャッキーが、ケビンに贈った感謝の曲のタイトルが「ケビン・バークのポルカ」だったんだって。

クン アイルランドでは誰でも音楽をやってて、その中に天才が混じっているというふうよね。特別な人としか音楽やらないとか、人間国宝とかそういうんじゃなくて、普段は家でみんなと一緒に演奏楽しんでる。アイルランド音楽から音楽の本来の楽しさを教えてもらって感謝してるよ。

フランシス・オニールの楽譜。約100年前の本。今も現役で出版されています。


『アイルランドからアメリカへ 700万アイルランド人移民の物語』カービー・ミラー、ポール・ワグナー著(東京創元社)


海辺でバウロン叩くクン・チャンとホイッスル集平。2002年 長崎市


『アイリッシュ・ソウルを求めて』ヌーラ・オコナー著(大栄出版)。ロックのルーツとしてアイルランド音楽が脚光を浴びるのはごく最近(※2002年当時)のことです。この本がきっかけ。


今はなき長崎県亜熱帯植物園の温室の前でドカバカ。 2001年6月 長崎市


『cornerboys』Patrick Street


●崎戸の千畳敷でアイゲリ。2002年9月 西海市




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