アイゲリ! アイルランド音楽入門
アイルランド音楽についてぼくが知っているいくつかのこと●長谷川集平
古代ケルト人に起源を持つ。
彼らが楽譜を知る17世紀以前の音楽がどういうものであったかは、よくわからない。
けれども、古い音楽は地下水脈のようにアイルランド音楽を豊かで独特のものにしている。
現在のスタイルは18世紀後半に確立し、変貌してきたものである。
長音階・短音階において展開し和声的に解決し終止を迎える音楽ではない。
非和声的な旋法(モード)上を循環していく性格を持つ。
いわゆる起承転結のないシンプルな音楽を生き生きと語らせるのが、装飾音とノリである。
1.シャン・ノース(ゲール語で「古いスタイル」)
無伴奏で歌われるゲール語の古謠。語りに近いものから、メロディをともなったものまで多様である。
新作の歌は単にソングと呼ばれることもあるが、この境界線はあいまいである。
2.器楽演奏 主に使われる楽器
イーリアン・パイプ (脇でふいごを扱う。バグ・パイプにしては静かな音) フィドル (ヴァイオリン。ほとんどファースト・ポジションしか使わない) フルート (6穴。半音キーは使わない。木製のシンプルシステムが好まれる) ティン・ホイッスル (6穴の縦笛。音の低いロー・ホイッスルもある) アコーディオン (鍵盤式よりもボタン式が好まれる。コード・ボタンは使わない) ハープ (もともと貴族の楽器。国の象徴になっている。ギネスのマークしかり) バウロン (片面にヤギの皮を張った太鼓) ブズーキ (ダブル・コース4組の弦をオープン・チューニングする)
スプーンや骨を打楽器に使うこともある。基本的に何でもありだが、げんみつな人は、ギターはアイルランド音楽に向かないなどと言う。
ギターより後に導入されたブズーキの方が好まれるのは、やはりモーダル(旋法)な音楽の性格によるものと思われる。
a.ダンス・チューン もとは踊りの伴奏音楽、今は主に演奏のための音楽である。
これには、カトリック教会が300年にわたってダンスを弾圧した影響がある。
・ジグ 一番古いリズム。
8分の6(シングル・ジグ、ダブル・ジグ)
8分の9(スリップ・ジグ)
3連符のノリで演奏される。タタタ・タタタ、またはタッタ・タッタ。
ジャズやブルースのシャッフルリズムの起源のひとつと考えられる。
・リール 多くがスコットランド起源。流れるようなノリで圧倒的人気がある。
4分の4、1小節に8歩音符4つのグループがふたつある。タタタタ・タタタタ。
ロックンロールのエイトビートの起源のひとつと考えられる。
・ホーンパイプ イングランド起源。
4分の4。ゆっくり、アクセントを効かせて演奏される。
・その他 スライド、ポルカは南部、西部で、
ハイランズ、マズルカは北西部ドニゴール地方で聴かれた。
スライド …8分の6
ポルカ …4分の2
ハイランズ …4分の4
マズルカ …4分の3
b.エア またはソング・エア、スロー・エア、歌の器楽演奏によるバージョン。
19世紀の飢饉によるアメリカへの大規模な移民によって、アイルランド音楽は巨大なメルティングポット(溶鉱炉)に流し込まれる。今のアメリカ人の5〜6人にひとりがアイルランド系移民の血を引いているという。これはカトリック的多産と、融和性の結果であり、音楽もまた他文化との壁をやすやすと乗り越えていく。それが再びアイルランドに逆輸入され加工輸出される、という形でフィードバックを重ねる。
アイリッシュ・カトリックやラテン系の、いわゆるプアホワイト(白人貧困層)が請け負った軍楽隊は、後のジャズの発生をうながす。プロテスタント白人層に支持されたヒルビリーやカントリー、はたまたプロテスタント黒人層によるブルースにもアイルランド音楽の痕跡が残っている。そして、やがてそれらの支流はロック・ミュージックへと合流していく。
混迷していたアイリッシュ・ダンスは、80年代後半にブレイクした「リバーダンス」によって、新たな段階に入る。同時期に放映されたBBCの「幻の民ケルト」や、アイルランド音楽を詳細に検証した番組と出版とコンサートの一大プロジェクト「ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム」が投げかけた波紋は大きい。
世界は歴史の書き換えを余儀なくされている。長く隠蔽してきた、被抑圧者の記憶が、アイルランド音楽とともによみがえる時が来た。スコットランドやウェールズをも包括するケルトは、オルタナティブ(もうひとつの価値観)を語る時の最重要テーマのひとつだといえるだろう。彼らは、世界の表ではなく裏、光ではなく影の部分を担ってきたのだから。
古代ケルト文化が離れ小島のように残っている地域には、フランスのブルターニュ地方や、スペインのガリシア地方などが知られている。また近代の移民によって、アメリカ、イギリスをはじめ、カナダやオーストラリアにはアイルランド文化が「接ぎ木」され、また固持されてきた。
最近になって、たとえばアイルランドと古くから関係の深いスペインから大航海時代に中南米に渡った音楽についての推測がさかんにされている。中南米音楽にケルトの痕跡があるという。
ぼくのファンタジーは、16〜17世紀に日本と交渉を持ったケルト系ヨーロッパ人が、ここにも何らかの痕跡を残しているのではないかということ。その後の徹底的な弾圧で、確実な資料は何も残っていないし、教会音楽ならまだしも、長崎で流行ったであろう世俗音楽がどういうものであったかは知るよしもない。けれども、焼き芋屋の呼び声はモーダル(旋法)だという、あるいはシャギリに使う篠笛とティン・ホイッスルが同じ構造をしているという、そんなところに目を凝らせば何か見えてくるかもしれない。(2000/3/11)
参考書籍
『アイリッシュ・ソウルを求めて』(ヌーラ・オコーナー、大栄出版)
『アイルランド音楽への招待』(キアラン・カーソン、音楽之友社)
『アイルランド、自転車とブリキ笛』(ディヴィッド・A・ウィルソン、朝日新聞社)
『アイリッシュ・ミュージックの森』(大島豊、青弓社)