アイゲリ!
ホイッスル装飾法メモ
00. はじめに
アイルランド音楽は、近代以前の古い音楽のスタイルを残しています。フルートやホイッスルの装飾法のほとんどはイーリアンパイプからの転用です。
指使いが基本的に同じなので、イーリアンパイプの練習にはよくホイッスルが使われます。
イーリアンパイプはアイルランドに伝わるバグパイプです。バグパイプはクラシック音楽に置いてけぼりをくらった在野の楽器ですから、ロマン派以降の整理整頓された音楽に慣れた人は、そのだしぬけな作法にとまどうかもしれません。本場の演奏を数多く聴き、親しむことがまず肝要です。
イーリアンパイプは脇の下のふいごで膨らませた風船のような革袋から間断なく空気を送るリード楽器です。笛吹きが口でコントロールすることを、パイパーは指でします。
われわれは小学校でリコーダーを教えられた時、タンギングのことをやかましく言われました。スラーのかかった音以外はすべてタンギングするような吹き方を「しつけ」られました。けれども、ああいうお利口さんの楽器じゃない、ならず者のホイッスルの基本はイーリアンパイプを真似ること、タンギングなしで吹くことなのです。
タンギングしないで笛を吹くと、どうなるか。やってみるとわかりますが、フレーズの区切り(フレージング)がだらだらとつながってしまいますし、同じ音が続くところなどはお手上げ状態。
そこで装飾音が登場します。装飾音はメロディに区切りをつけ、音と音を区別するために採用されます。イーリアンパイプにはできないタンギングはホイッスル独自の準装飾音のように考えていい。ホイッスル奏者Sean RyanやMicho Russellはとても積極的にタンギングを使います。同じく、息継ぎ(ブレス)も笛だけの表現としてフレージングに生かすことができます。
装飾音のない演奏は、いわば、ひらかなだけで書かれた文章です。
「すもももももももものうち」
子どもの本では、次のように分かち書きをすることがあります。句読点も使えます。
「すももも ももも、もものうち」
これはタンギングやブレスを取り入れたフレージングと考えていいでしょうね。けれども、われわれオトナはこうは書きません。
「スモモもモモも桃のうち」
と書けば、わかりやすい表現になってくる。これが装飾音の第一の存在理由です。
その場合「スモモ」と書くか「李」と書くか、「モモ」か「桃」かが、装飾音の違いになります。あえて装飾しないことも表現です。
「李も桃もモモの内」
「李も桃も、もものうち」
文章にも漢字だらけの美文調があり、男らしいもの女らしいもの、熱いもの冷たいものがあるように、装飾音の扱いによって、アイルランド音楽はそれぞれの文体を身にまといます。
以下は、ホイッスルの初心者による、自分ではまだあんまりうまく使いこなせない装飾法についての覚え書き、ないし知ったかぶりです。楽譜などの画像やサウンドファイルを用いなかったのは、面倒くさいという理由が大きいですが、ぼくのホイッスル仲間に楽譜の読めない人が多く、シンプルな日本語テキストだけでどれだけ伝えられるかやってみたかったという理由もあります。
「アイルランド音楽ゲリラ」という枠を超えて、同好の士の参考になれば幸いです。間違いがあれば、お知らせください。
おたがい、のんびりとホイッスルとつき合いましょう。長くやってりゃそのうち、うまく吹けるようになりますよ、きっと。
初版 :2000/11/08
改訂版:2001/04/17
01. シングルグレースノート【Single Grace Note】
「Cut」とも呼ばれます。
短く高い音によって装飾します。目的の音を出す直前に、押さえている指のどれかを一瞬開けるのです。
ただしクラシックのような、どの音にも均等に半音か全音上から下りてくるようなことは、むしろ避けます。装飾音に選ぶ音に一定の決まりはなく、地域や演奏者によって、また楽器によって違うようです。均衡を破る、予期しない飛躍があった時、なぜか古代ケルト的な臭いが鼻にツンと来ます。
アイルランド音楽の装飾音は音程を聞き取れないぐらい素早く、効果音のように鳴らされることが多い。装飾音がはっきりとした音程を持たないことすらあり、調子っぱずれなしゃっくりに聞こえることもあります。
適切な装飾音は音楽をコロコロと前に転がします。アコーディオン奏者Jackie Dalyによると、装飾音は曲をより悲しくさせるためにあるそうです。何事もそうですが、装飾過剰はいけません。
Geraldine Cotterが教えているカットの仕方は実にわかりやすい。
D管の下の手で操作する4つの音d・e・f♯・gと、上の手で操作する2つの音a・bに分けて考えます。全部の穴を開けるc♯は、それ以上開ける穴のないホイッスルの構造ゆえカットできません。
(●は穴を閉じ○は穴を開ける)
d e f♯ g | a b
● ● ● ● | ● ●
● ● ● ● | ● ○
● ● ● ● | ○ ○
● ● ● ○ | ○ ○
● ● ○ ○ | ○ ○
● ○ ○ ○ | ○ ○
|
この下の4つの音にはa穴(上から3番目の穴。上の手の薬指)をカットし、上の2つの音にはc♯穴(一番上の穴。上の手の人差し指)をカットする。
こうなります。
(→が装飾音)
→d →e →f♯ →g | →a →b
●● ●● ●● ●● | ○● ○●
●● ●● ●● ●● | ●● ○○
○● ○● ○● ○● | ○○ ○○
●● ●● ●● ○○ | ○○ ○○
●● ●● ○○ ○○ | ○○ ○○
●● ○○ ○○ ○○ | ○○ ○○
|
L.E.McCulloughはgのカットにb穴(上から2番目の穴。上の手の中指)を使っています。a穴よりも飛躍が大きくなります。こうです。
Cathal McConnellもgのカットにb穴を使い、さらにeのカットにb穴を使い、なぜかaにもb穴を使います。こうです。ユニークなスタイルですね。
→e →a
●● ●●
○● ○●
●● ○○
●● ○○
●● ○○
○○ ○○ |
上の例を参考に自分にぴったりの方法を見つけ、曲の中で自由に使いこなせるように何度も練習しましょう。
02. ダブルグレースノート【Doble Grace Note】
「Casadh」とも呼ばれます。
言葉の通りです。シングルグレースノートは1音の装飾。ダブルグレースノートは目的の音にたどりつくまでに2音の装飾。目的の音を吹き続ける間に1で覚えたカットを挾むと言えばわかるかな。一瞬の出来事です。
d→d e→e f♯→f♯ g→g | a→a b→b
●●● ●●● ●●● ●●● | ●○● ●○●
●●● ●●● ●●● ●●● | ●●● ○○○
●○● ●○● ●○● ●○● | ○○○ ○○○
●●● ●●● ●●● ○○○ | ○○○ ○○○
●●● ●●● ○○○ ○○○ | ○○○ ○○○
●●● ○○○ ○○○ ○○○ | ○○○ ○○○
gは、ぼくはこちらをよく使います。
g→g
●●●
●○●
●●●
○○○
○○○
○○○
|
03. ショートロール【Short Roll】
ロールと言われている通り、まさに音をコロコロと転がします。シングルグレースノートやダブルグレースノートは、どんなシチュエーションにも使えますが、このショートロールと次のロングロールは複雑なので、比較的長い音符を装飾したり、短いフレーズと置き換えることが多いです。
L.E.McCulloughは四分音符をショートロールで装飾し、付点四分音符をロングロールで装飾する、と言っています。結果的に四分音符の多いリールではショートロールが、そして付点四分音符のノリがよく出てくるジグではロングロールが多用されます。
ショートロールは、次のような音の動きをします。
シングルグレースノート・すぐ下の音(タップ)・目的の音
指の動きはこうなります。すぐ下の音を一瞬「叩く」ことを「Tap」「Tip」「Strike」などと言います。ロールは、要するに持続している音を素早くカットしタップすると考えるといいでしょう。
全部の穴をふさぐdは、それ以上ふさぐ穴のないホイッスルの構造ゆえロールできません。dには5で説明するクランという特別の装飾があります。
→e→e →f♯→f♯ →g→g | →a→a →b→b
●●●● ●●●● ●●●● | ○●●● ○●●●
●●●● ●●●● ●●●● | ●●●● ○○●○
○●●● ○●●● ○●●● | ○○●○ ○○○○
●●●● ●●●● ○○●○ | ○○○○ ○○○○
●●●● ○○●○ ○○○○ | ○○○○ ○○○○
○○●○ ○○○○ ○○○○ | ○○○○ ○○○○
gのもうひとつのショートロールはこうなります。
→g→g
●●●●
○●●●
●●●●
○○●○
○○○○
○○○○ |
04. ロングロール【Long Roll】
ショートロールがシングルグレースノートから始まったのに対して、ロングロールはダブルグレースノートから始まります。
ダブルグレースノート・すぐ下の音(タップ)・目的の音
e→e→e f♯→f♯→f♯g→g→g | a→a→a b→b→b
●●●●● ●●●●● ●●●●● | ●○●●● ●○●●●
●●●●● ●●●●● ●●●●● | ●●●●● ○○○●○
●○●●● ●○●●● ●○●●● | ○○○●○ ○○○○○
●●●●● ●●●●● ○○○●○ | ○○○○○ ○○○○○
●●●●● ○○○●○ ○○○○○ | ○○○○○ ○○○○○
○○○●○ ○○○○○ ○○○○○ | ○○○○○ ○○○○○
gのもうひとつのロングロールはこうなります。
g→g→g
●●●●●
●○●●●
●●●●●
○○○●○
○○○○○
○○○○○ |
ジグの中のロングロールは次のように考えた方がいいかもしれません。八分音符みっつのひとつめが目的の音、後のふたつでショートロール。ただし、イチ・ニ・サン・イチ・ニ・サンという均等なノリではないのだなあ。Geraldine Cotterはマザーグースの中の有名な「ハンプティダンプティ」を何度も唱えてジグのノリを身につけなさい、と言ってます。
Humpty Dumpty sat on the wall
05. クラン【Cran】
dだけの特殊な装飾です。持続しているdの中で奇怪に飛び跳ねる音の動きは、イーリアンパイプ独特の味わいを思い出させます。次のようなものがあります。
d→d→d→d d→d→d→d
●●●●●●● ●●●●●●●
●●●●●●● ●●●●●●●
●○●●●●● ●○●●●●●
●●●○●●● ●●●○●●●
●●●●●●● ●●●●●○●
●●●●●○● ●●●●●●● |
06. Cロール C♯ロール【C Roll,C# Roll】
L.E.McCulloughが紹介しているもの。普通はあっさりあきらめられているcとc♯をロールする裏技なのですが、どれだけ実用的なのか、ぼくにはわかりません。
c→c→c c→c→c c♯→→→c♯
○○○●○ ○○○●○ ○○○●○
●●●●● ●●●●● ○○●○○
●●●●● ●●●●● ○●○○○
○●○○○ ●●●●● ●●●●●
●●●●● ○●○○○ ●●●●●
●●●●● ●●●●● ●●●●● |
07. 三連符【Triplet】
八分音符ふたつでタタというところを、三連符タタタに置き換える。ソミをソファミなどと置き換えて装飾します。同じ音をタカタとタンギングして区切ることもある。美穂をミポリンと言うがごとし。
逆に三連符を八分音符ふたつに置き換えることもあって、これは多分に経験則によっています。くみ子をクン・チャンと言うがごとし。
08. スライド【Slide】
下の音を押えた穴を徐々に開けて目的の音まで滑らかに移動します。ポルタメントですね。効果的に使うと、実にホイッスルらしい、たおやかでヒョロヒョロした響きを演出できます。
上から下に滑り落ちることは、あまりないようです。ただし最近はローホイッスルを使って、尺八のようなダイナミックな音の上げ下げや音色の変化を取り入れることもある。「Riverdance」でのDavy Spillaneの演奏などはその典型でしょう。尺八や篠笛の奏法にはホイッスルと共通のものが多いので研究してみる価値があると思います。
09. ビブラート【Vibrato】
ビブラートは安易にかけるべからず。われわれ日本人は演歌歌手からクラシックの演奏家に至るまで、むやみにビブラートをかけすぎます。独特の泣きの入ったビブラート感覚が染み着いています。
ビブラートは感情を込めるためや音程をごまかすためではなく、装飾音のひとつだったのです。それを理解しないうちは、むしろノンビブラートをめざす方が、演奏が臭くならなくてよろしい。
ビブラートを学びたいなら、良い演奏を注意深く聴き、模倣するしかありません。
ホイッスル奏者によっては、息の強弱でかけるビブラートと別にフィンガービブラートを使います。押さえている指のひとつ以上下の指で穴を開閉(Finger Waggling)して音を断続的に曇らせてビブラート効果を出します。笛によって効果が違いますから、いろいろ試してみるといいでしょう。使う指は1本でも2本でもかまいません。押さえた時にあまり音程の下がらない指を選びます。
f♯→f♯ g→g a→a b→b c♯→c♯ c→c
f♯←f♯ g←g a←a b←b c♯←c♯ c←c
● ● ● ● ● ● ● ● ○ ○ ○ ○
● ● ● ● ● ● ○ ○ ○ ● ● ●
● ● ● ● ○ ○ ○ ● ○ ○ ● ●
● ● ○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ●
○ ● ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ● |
フィンガービブラートはイーリアンパイプのテクニック、リコーダーや古いフルートのテクニックです。「Close Shake」またはフランス語で「Flattement」とも言うそうです。これも使いすぎは嫌味です。
10. トリル【Trill】
アイルランド音楽ではほとんど使われません。使う場合は、たとえばソを装飾するのであればソラソラソラソラと上の音と交互に。バロック音楽のようにラソラソラソラソと上から来るのやソファソファソファソファと下に行くのは、まずありません。