集平セミナリヨ レポート05
集平リモート・セミナリヨ レポート


第5回
『夏のおわり』を語る

2023年8月16日

1982年 理論社


集平さんとともに『猫ヒゲDance』など心に残る歌を残し2006年に亡くなった下村誠さんに捧げられた新刊『音楽(ビート)ライター、下村誠アンソロジー 永遠の無垢』の紹介、お二人の出会いと思い出話からスタートしました。そして『トリゴラス』の回で語りきれなかったお話から『夏のおわり』につながります。

1970年ごろ学生運動は混迷の時代に入り、暴力的で暗いものになっていきます。ウーマンリブが出てきたのもこのころです。
1960年代までは戦争を振り返りながら生きていた日本ですが、1970年日本万国博覧会を機に、良くも悪くも前を向いて未来に向けて歩み出した時代だったのではないかと集平さんは考えます。
(集平註:1970年までが戦後、それ以降は戦前と見ることもできそうです)

終戦後から続いたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるメディア統制が1950年代には日本人の手に委ねられます。そのことによって戦争や暴力の表現に対する検閲が甘くなります。1960年代前半にはマンガやテレビ、アニメの戦争ものに人気が出てプラモデルやモデルガンが流行ります。男の子たちは「戦争ごっこ」が大好きでした。

そんな時代に「おまえらは戦争を知らないからダメなんだ」と子どもたちを見下す大人たちに集平少年は「じゃ、もう一度戦争しろと言うのか?」と食ってかかります。戦争体験をいくら並べられても戦争を知ることはできないというジレンマが続きます。のちに森有正を読み「体験は個別的でぼんやりとしていて共有しにくい。経験は体験と違って、はっきりとしていて普遍的で共有できるものだ」と解釈した集平さんは、そこでやっと腑に落ちたそうです。

『トリゴラス』にも戦争と核の恐怖(ゴジラ)が影を落としていますが、『夏のおわり』で集平さんはもっとストレートに子どもと戦争を描こうとします。

作品中の、「ダダッ ダダッ ダダッ」という表現が山之口貘さんの詩「紙の上」の「だだ だだ」の影響だったことにあとで気づき、この「だだ だだ」はダダイズムから来ているのではないか? という解釈に触発されます。第一次世界大戦で大量殺戮兵器が使用され、人間の未来に希望を持てなくなった人たちが起こしたニヒルな反芸術活動ダダイズムは、やがてシュールレアリズムに呑み込まれ第二次世界大戦終結とともに収束しますが、その後の文化に大きな影響を残します。アヴァンギャルドな文芸、パンクロックなどもダダから派生したと言えるでしょう。

『夏のおわり』の線画は小さいころから親しんだピカソと山下清を意識して描かれたものです。これは絵本のダダイズムだったのではないかと集平さんは今になって思います。リアルタイムにぼんやりしていたものが、時を経て見えてくるのがわれわれの常のようです。

放課後タイムは質問がいっぱい。集平絵本に出てくる擬態語、黒バック=闇をなぜ使うか、絵本と映画の違いは? というような質問をきっかけに、創作の秘密が明かされていきます。「放課後は集平さんがリラックスして見えます」と参加者の方がおっしゃったように、録画には残らないその場限りのお話は、放課後タイムの醍醐味です。

お盆明けや台風の影響もあり、参加者は少なめでしたが、中国からつなぐ人もあって、今回も濃厚な、あっというの間の講義1時間と放課後でした。どうもありがとうございました! 唯一無二の「集平セミナリヨ」、リモートの特性を活かし、日本全国、海を超えて世界中に広めて、これからもたくさんの方とこの豊かな時間を共有したいと思っています。

(齋藤)




1978年4月2日。京都・円山公園のライブに出演。


60年代は戦争ブームの時代でもあった。
子ども向けの戦争漫画やモデルガンが数多く出ていた。



『夏のおわり』朗読。




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