集平リモート・セミナリヨ レポート
第6回
『青いドッグフーズ』を語る
2023年9月20日
1980年 北宋社
『青いドッグフーズ』は1刷のみで絶版。1995年『絵本づくりサブミッション』(筑摩書房)に収録されたがこちらも絶版状態である。
1976年の絵本作家デビューから4年間『はせがわくんきらいや』は賛否両論にさらされ、その他の作品に対する評価は低かった集平絵本。前回取り上げた『夏のおわり』で、タイトル通り「ぼくの夏をここで終わりにしたかった」と言っていた集平さんが次に描いた作品が『青いドッグフーズ』です。それまでの5作はネイティブの関西弁(播州弁)が使われていますが、この作品から東京時代最後の作品『アロくんとキーヨちゃん』までは標準語です。集平絵本の70年代と80年代の間に大きな断層があります。まずは集平さんの朗読で『青いドッグフーズ』を。
中学生まで坊主頭だった集平少年は、高校生になり髪を肩に届くほど伸ばし始めます。1971年の中津川・第3回全日本フォークジャンボリーに行くために、スイカ売りのバイトをしてお金を貯め、初めてジーパンと毛沢東語録(!)を自分で買い、テントを借りて『とんぼとりの日々』の転校生のモデルになった親友と弟と連れ立って、姫路から岐阜県へ向かいます。田舎の中高生が初めて目にした2万何千人の野外コンサート会場には、学生運動末期のジレンマと一触即発の殺気が充満しており、怖かったそうです。3日間のコンサートの最終日の夜、ステージを占拠して、現在進行形の歌について討論会を始めた一団がいました。歌はぼくたちのものではなく、音楽業界のものになってしまったのではないかという人と、それでいいのだという人の泥沼のような激論が夜遅くまで続きました。このことは集平少年にとって、目の前で信じていた文化が商業主義に飲み込まれていく、それを呆然と眺めているしかなかったという痛切な体験として、その後の生き方に影を落とします。
学生運動が混迷する中で、人々の関心は政治から個々の生活へ移っていきます。反戦フォークの時代から四畳半フォークの時代へ。月刊ガロに連載されていた林静一の「赤色エレジー」や、そのパロディとして上村一夫が描く「同棲時代」など、畳の上の生活を描く文芸作品が流行します。『はせがわくんきらいや』や『青いドッグフーズ』の畳の表現にはこの時代が反映されています。
そんな中、物事の本質から目を逸らすような漫画や歌がメディアに忍び込みます。フォークジャンボリーで目撃した、ぼくらの歌だったはずのものが業界の商品にすり替えられていく、それが早速表面化します。ここで集平さんは「神田川」という大ヒットソングの前半を紹介します。ぼくたちの日常がこんなちゃちな嘘っぱちにすり替えられてしまう。一流の表現ではなく二流三流のものが主流になっていく。そのことによってぼくらのかけがえのない生活が、だれかさんのつごうのいい作り話にされてしまう。なんとかしなきゃと集平少年は思います。
『はせがわくん〜』からずっと子どものために絵本を描いてきた集平さんですが、子どもには難しい、これは大人のための絵本だと言う人が当時も今も多いのです。そういう分からず屋たちのために、オレが大人のために絵本を描いたらこんなもんじゃないよ、タダでは済まないよという、ひとつの極端を示したかったところもあったようです。
『青いドッグフーズ』は、「話の特集」1979年1月号に描いた8ページの作品『青い犬』を気に入った某編集者の、これを10倍の長さ、80ページの絵本に膨らませてほしいという要望に応えたものです。今回は、放課後タイム恒例の質問を早めに切り上げ、表紙、見返しから、80ページにわたる作品を1見開きずつ、細かいところまで解説されました。さまざまな手法が使われていることがわかります。なんと贅沢な絵本でしょう!
1979年3月3日に結婚した集平さんとクン・チャン。頼りにしていたすばる書房の倒産などで表現も生活もご破算にされる中、ハンパじゃない覚悟で描かれた当時の心情を、クン・チャンとの出会いや結婚のエピソードも交えながらお話されました。この絵本の銭湯の行き帰りの背景に描いたリアルな風景は、風景よりも人に興味を持っていたぼく自身の心境の変化だったのか、なぜか風景がリアルに見えてきたんですというお話も興味深かったです。その時々に、自分の感覚に嘘をつくことなく、ベストの絵本にしようとする集平さんの姿勢がよくわかりました。だから最高のラブストーリーになったのでしょう。
『青い犬』でなく『青いドッグフーズ』にしたのはなぜ? という問いに答えて、ロバート・ジョンソンの「地獄の猟犬がつきまとう」をクン・チャンとレコードで聴いてショックを受けた集平さんは絵本をこういう歌に並べられるほどのものにしたいと思ったそうです。この歌の地獄の猟犬は、自分たちを抑圧するシステムとか権力とか常識とか、見えない力が犬の姿をとってつきまとっている。いつもその犬の食い物にされているという実感を持つぼくらは結局、犬のエサ(ドッグフードの複数形)として生かされてるんじゃないかという思いでつけたタイトルだった。犬が子どもに噛みつくシーンがあります。多くの場合、暴力は絵本から遠ざけられます。生まれた直後から子どもは傷つけられ、ファックされているのにね。真実を表現するのが芸術の役割ならば、こういうことも描かないといけない、『はせがわくんきらいや』にも暴力シーンがある。それはこの絵本のセックスシーンにも言えることで、だれもがだれかに遠慮して表現しなかったことを表現するのがぼくの役割かもしれない、描けてよかったと振り返られました。
話の合間に岡林信康の「性と文化の革命」、高田渡の「失業手当」などを歌詞をたどりながら聴きます。それが話をより重層的にしていきます。最後には集平さんから気がかりな問いかけも出て、次回以降もますます楽しみです。
今回はいつもとは違う時間の流れで、刺激的であっというの間の時間でした。どうもありがとうございました! 唯一無二の「集平セミナリヨ」、リモートの特性を活かし、日本全国、海を超えて世界中に広めて、これからもたくさんの方とこの豊かな時間を共有したいと思っています。(齋藤)
「第3回全日本フォーク・ジャンボリー」レコードジャケット。1971年・岐阜県中津川。集平もこの場にいて一部始終を目撃した。
『青いドッグフーズ』より。常に犬の姿がある。
ロバート・ジョンソン「地獄の猟犬がつきまとう(Hell Hound on My Trail)」歌詞。
結婚式代わりに墨田区白鬚神社へ。境内にいた子と記念撮影。1979年3月3日。
参考にした写真と描いた絵を並べて見せる。
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