集平セミナリヨ レポート07
集平リモート・セミナリヨ レポート


第7回
『たかし、たかし』を語る

2023年10月18日

1980年 リブロポート


前作の『青いドッグフーズ』(1980年)は、大人のために描いた絵本でしたが『たかし、たかし』からまた子ども向け絵本に戻ります。1979年後半、絵本ブームの核になっていた「月刊絵本」や『はせがわくんきらいや』など時代を変える絵本を出版していたすばる書房が倒産、絵本を取り巻く状況が一変します。
1980年代は西武・パルコの時代。西武系の出版社リブロポートからの依頼で描かれたのが本作です。翌1981年から絵本講座を9年間続けた池袋コミュニティカレッジも西武系でした。集平さんは西武・セゾングループの文化戦略に呑み込まれていきます。

『こじこじ年代記』(2007年)に書かれた「一九八〇年 元気印」を読んで時代を語ったあとに『たかし、たかし』を朗読しました。
これは時代の変化の中で、それまでの集平絵本のイメージを裏切ろうとして描いた重要作ですが、当時の評価は低く、作者自身もくわしく語るのはこれが初めてだそうです。

作品名の『たかし、たかし』は、このころから増えていく離婚問題を描いたアメリカ映画『クレイマー、クレイマー』(1979年)に影響されたものだそうです。主人公・たかしは母親との二人暮らし。やはり母子家庭だった友人の詩人・大西隆志さんの名前を借りました。

集平さんが育てられた1970年代の絵本出版は1980年代に、學び舎 → 業界、質 → 量、思いやり → 計算、と大きく変わっていく。小さなプロダクションや中小企業(ヤクザも)が支えてきた文化が大企業に呑み込まれ、「戦略」という言葉で表されるような殺伐としたものになっていきます。ただ、それは振り返って言えることであって、リアルタイムでは何が起きているのか、自分がどこにいるのかわからなかったそうです。

わからないながらも、ここから抜け出さなきゃいけないとアセるほどの居心地の悪さ。周囲に心を病む人が増えていきます。何かおかしい、どう理解したらいいんだろうと集平さんはフロイト、ユング、ラカンなどを読み、精神分析と心理学を学び始めます。ラカンはソシュールの言語学に基づいた難解な理論ですが、絵本作家らしく読み解きながら読み進めます。それは1980年代に集中して書いた映画評論、音楽評論、絵本評論、そして作品にも生かされます。

フロイトの精神分析は心の中で壊れてしまった物語を修復することで患者を癒します。作り直された物語に嘘や思い違いや出まかせが混じっていても、その人にとってリアリティがあればオーケーとフロイトは言う。なぜ嘘でもいいのか…「ほんまのことがききたい」集平さんはラカンやソシュールを読みながらわかっていきます。簡単にいうと、本当の物語は、リアリティは貧しい言葉の上っ面ではなく、心の中にあるのです。

1980年代に家族崩壊が顕著になる。物語を共有していた家族ひとりひとりが別々の物語を生き始める。日本という物語(共同幻想)も壊れている。ここで集平さんが初めて擬人化という表現手段を使った、その必然性が明らかになってきます。『トリゴラス』では男の子が語り、『夏の終わり』では戦争好きのオヤジが語る、あれは嘘だったのか真(まこと)だったのか。『たかし、たかし』の二人と一匹の語る、どれが本当の話なのか…これはまさしくポストモダンな絵本であり、その後のぼくの作品の中にある闇を照らす懐中電灯のような絵本ではないだろうか、と語られました。最後にはもう一度、朗読、説明を聞く前と後では、受ける印象がガラッと変わりました。

放課後では、「たかしの枕元に『トリゴラス』の絵本がありますね」という問いから、集平さんの描くリアルな生活について発展していきました。

たかしがお母さんの帰りを待ちながら読む『トリゴラス』、一人ぼっちの彼には家族全員が布団を並べて寝ている光景はどのように映るのか。貧しい家庭を描いたつもりだったが、その家族自体が危うくなっている。家族全員揃っている絵を見て傷つく子どもがいるのではないか、という集平さん自身への問いかけでもありました。

犬を見てたかしとたかしがニヤニヤ笑う場面があります。この犬はたかしとたかしが仲良くするための生贄(犠牲)にされ、追放される。犬は実は人間だったかもしれない。神話や伝説には自分たちが生贄にし追放した人を動物やお化けや神様にする物語がよくある。この犬を人間の姿で描くとあまりにも意地悪な物語になってしまう。犬の姿をしているのでおもしろおかしく見える。これは必要な擬人化です。

ラストシーンで、たかしとたかしは読者を見ます。「ここまで話してきたことをどう思う? ハッピーエンドだと思う?」と目で訴えているようにも見えます。
この二人は共犯者でもある。だから「ともだち」になれたんです。

最後に、人間は進化ではなく退化しているという意味のバンド名を持つDEVO(De-Evolution)の映像を見ながら、「Are we a man ?」「We are DEVO!」という1970年代にすでに次の時代を予言していた歌の自主制作動画を観ました。

スタート前にはトラブルがありご迷惑をおかけしました。今回もオドロキと学びの多い時間をどうもありがとうございました!
それにしても『たかし、たかし』はすごい作品でした。
作品を描けば描くほど、懐が深くなってきているとご本人が仰るように、描いた順番で作品を語ることで見えてくる時代の流れ、まさに現在進行形の唯一無二の「集平セミナリヨ」、リモートの特性を活かし、日本全国、海を超えて世界中に広めて、これからもたくさんの方とこの豊かな時間を共有したいと思っています。

(齋藤)


まずは『たかし、たかし』を朗読。




セゾングループの文化戦略(抜粋)リブロポートも同系列。


集平が80年代に学んだ精神分析と心理学。ユング、フロイト、ラカン……。




1980年から3年間の集平の出版物。絵本6冊、共作絵本5冊、挿絵8冊、小説1冊、翻訳絵本1冊。他に雑誌連載、絵本講座、講演会、バンド活動など多忙をきわめたが、バブル経済に反比例して仕事は減っていく。
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