集平リモート・セミナリヨ レポート
第9回
『日曜日の歌』を語る
2023年12月20日
1981年 好学社
1980年、絵本ブームのピークを過ぎかけたころ、集平さんは人気絶頂、若い女性ファンに向けてこれだったらウケるだろう、売れるだろう、と今とは正反対の考えもあったという驚きの話から始まりました。絵本作家デビューして5年、慣れもありました。
1980年のある日、中野あたりの公民館で行われた講演会、いつものように女性ファンで満員の客席の後ろに不機嫌そうな顔をした男がいました。終演後、控え室に現れたその男は前のめりに歩み寄ったかと思うと「長谷川集平は今ダメになっている! 」と言う。呆気にとられていると「オレはお前と絵本を出す! 」と宣言します。それが『日曜日の歌』の編集者で一緒にバンドを組んだツネちゃんこと鈴木常之(のちに常吉)との出会いでした。後日、打ち合わせに現れた彼は、大学をサボって暴走族で走り回っていた大学生の時、仲間の女の子が持っていた『トリゴラス』を見て、オレはこんなことをやっている場合じゃないと大学に戻り出版社へ入るべく猛勉強をして好学社に入ったと言います。すぐには編集などできないのですが、せっかちな彼は社長に直訴して編集の許可をもらい、集平さんの講演会に会いに来たのでした。自分でもうすうす、こんなんじゃダメだと思っていた集平さんは、それを一目で見抜いたツネちゃんを信用してみようと思ったそうです。
ここから集平さんとツネちゃんの飲んだくれの日々が始まります。ツネちゃんは自分が生れ育った北千住を案内してくれました。実家の精肉店、近所の家…それは東京で集平さんのまわりにいたインテリで左翼の家とまったく違う、むしろ右翼、保守、神棚の横に皇居の二重橋の額が飾ってあるような家でした。姫路の友だちの家を集平さんは思い出します。ぼくもツネちゃんも同じようなところから出てきたのに、ちやほやされて自分が偉くなったと勘違いして、立つ場所を間違えていた。
半年ほどしてツネちゃんに「そろそろ絵本描かないか」と言われて「描けると思うよ」と集平さんは答え、一晩で『日曜日の歌』の本文の原画を描きあげます。連絡を受け、すぐさま駆けつけたツネちゃんは、原画を一枚ずつ見終えてうなずき、正座したまま突然、わあーッと声をあげて泣いたそうです。集平さんは編集者のこんな反応を後にも先にも見たことがないと言います。「いいのが描けたな、これはオレが描かせたんだよな」というツネちゃんに、「ツネちゃんが描かせてくれたよ」と優しく応える集平さん。このお話がまるで一つの作品のようです。出版に至るまでは紆余曲折ありましたが、出し渋る社長をツネちゃんが必殺の暴走族式脅し文句で翻意させ、1981年秋に無事出版されます。
『日曜日の歌』を描いたことで自分が絵本作家としてどこに立ったらいいかがわかった。日本の絵本の世界を動かしているのはエリートだから、学校や社会で浮かばれない人たちは視野に入っていない。そこにこそぼくは絵本を届けたい。いわゆる勝ち組ではなく負け組のしんどさ、わけののわからなさ、喜怒哀楽を描くのがぼくの仕事だと自覚できた。まさにターニングポイントだった。
『日曜日の歌』ともう1冊の絵本の編集をして「もうやり残したことはない、集平、バンドやろうぜ!」と、今度はギターを猛練習するツネちゃん(エレキ・ギター)、クン・チャン(エレキ・ベース)、集平さん(エレキ・マンドリン)、ツネちゃんがスカウトしてきた増田さん(ドラム)によるうパンク・スカ・バンド「スペシャル・サンクス」が結成されます。
福音書に「上席に着くな」というイエスの教えがある。あなたがたは末席に座りなさい。クラシックやジャズはアカデミックな音楽教育を受けた人による、上席に向けた音楽ですが、教養から遠ざけられてきた末席の人たちの楽しみとしてロックンロールが生まれます。集平さんの中で、絵本、ロック、キリスト教がここで一直線につながったというお話で講義部分は終了しました。
放課後タイムは、参加者のみなさんからの質問や感想に加え、スペシャル・サンクスの曲「真っ赤な夕陽が燃えている」を歌うツネちゃん、集平さんが大きな影響を受けているというジョナサン・リッチマンの心をくすぐるライブ映像、またNHKで放送された『日曜日の歌』のテレビ絵本の映像、その朗読をした「ひょっこりひょうたん島」のチャッピの「くたばれ男の子」など、講義部分では紹介しきれなかった素材を見せてもらいました。絵日記風の書き文字をクン・チャンの弟の字を真似て書いたこと、ひまわりを描くことで『はせがわくんきらいや』とつながりを持たせたことなどの創作秘話もありました。
映画館のシーンで映画を観て泣いているのは家族3人と『とんぼとりの日々』のあの四角い顔の少年だけです。去年の姫路文学館の講演で四角い顔の少年のモデルになった集平さんの高校時代の親友の話を聞いた参加者が的を射た考えを述べられたことで、集平さんのとても大事な話が聞けました。話し合いのできる放課後には講義にはない味わいがあります。
最後に『こじこじ年代記』(2007年)から「1981年 日曜日の歌」を朗読。今回話したことの総括になりました。 そのあと、下村誠さんのジョン・レノン追悼アルバムの中から「争いはもうやめよう!(ハッピー・クリスマス)」を参加者にクリスマス・プレゼント。心があたたかくなって、今年最後のセミナリヨが終了しました。
2時間半話してまだまだ足りないような様子の集平さん、参加者のみなさん、濃厚で楽しい時間をありがとうございました。
描いた順番で作品を語ることで見えてくる時代の流れ、それを動かす芸術文化のお話、現在進行形の唯一無二の「集平セミナリヨ」、リモートの特性を活かし、日本全国、海を超えて世界中に広めて、これからもたくさんの方とこの豊かな時間を共有したいと思っています。(齋藤)
原画を見終えた編集者のツネちゃんは、わあーッと声をあげて泣いた。
映画を観て泣いているのは家族3人と四角い顔の少年だけ。
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