集平リモート・セミナリヨ レポート
第11回
『土手の上で』を語る
2024年2月21日
1982年 リブロポート
『土手の上で』は1982年に描かれた作品ですが、このころから今に続く長いトンネルに入っていきますと語り始める集平さん。まずは朗読からスタート。朗読が終わり、作品の余韻を感じていると…集平さんのパソコンが落ちてしまうというハプニング! すぐさま隣の部屋のスタッフ・曽我さんのパソコンの前に移動し話を続けます。何日もかけて準備した画像やデータは使えなくなってしまいましたが、気を取り直して…
前作『7月12日』は追い出された新高円寺の借家をイメージして描いています。このころ近くに移り住んだ仲間と「こじこじ屋敷」という秘密結社(?)を作り、みんなでお金を出し合って2人乗りのヨットを買って西伊豆までよく出かけたそうです。大学のヨット部だった村上康成さんの指導で富士山を見ながらヨットに乗っている時に「風まかせ」を覚えた、それが凧揚げにつながります。同じころイラストレーターやデザイナーと組んだ草野球チーム「バウワウ」のユニフォームの色は『ホームランを打ったことのない君に』(2006年)で再現されます。
『土手の上で』の前に集平さんは『ゴンちゃんなんばしよるとや?』(飯田栄彦 1981年)の挿絵を描きます。福岡県甘木市出身の児童文学者の飯田さんが初めて地元の方言を使った作品で、集平さんは行ったことのない甘木の風景を想像で描きました。それは『あのやまこえたやってきた』や『夏のおわり』にも描いた集平さんの心象風景でした。それを見た飯田さんが「集平さんは人が悪いなあ、甘木に来たなら言ってくれたらいいのに」と電話をかけてきたそうです。「え? 行ってませんよ、取材費も出ないし」と言ったら飯田さんは驚いてさらに大きな声で「だってあれは甘木そのものだよ。それもぼくが子どものころの甘木。来たことがないのによく描けたね」! 実は母方の祖父、浦山貢さんは甘木出身でした。飯田さんよりびっくりしたのは集平さんでした。
それまで絵本は自己表現だと言っていた集平さん、フォーク・ソングの父といわれるウディ・ガスリーの「見たものしか歌わない」という言葉を真似て「見たものしか描かない」と言っていたのに、見たことのないものを描いてしまっていた。フロイトが考えたように、自己(意識)よりももっと広い無意識の領域がある。無意識は自分の知らないものとも関わっている。絵本を描いたり歌を歌うのは自己表現と違うかもしれない。
花小金井で住んだところの背後に広大な小金井公園がありました。桜の名所として知られていますが、一年中、凧揚げしている人がいました。その人たちを見ているうちに自分も凧揚げを始めた集平さん。小さいころから得意だったそうですが、忘れていた爽快さにどんどんハマっていきます。凧揚げをしていると、広場のあちこちから、「違う!」「そうそう!」という声が聞こえる。みんな意識しあってる。そのうち、毎日違う自作の凧を揚げている少年と親しくなりました。いつも広場の角の方で空を見ながらいい笑顔をしているおじさんが気になっていると、少年は「あのおじさんは凧揚げ名人なんだよ」と言い、集平さんにおじさんを紹介をしてくれました。近くで見ると、おじさんの手には細くて透明なテグスの糸巻きがあり、その先に透明なフィルムとピアノ線で作った小さい凧があります。その凧は2〜3メートル揚げるともう見えなくなり、100メートル、200メートルと揚がっていきます。「いい風ですね、これくらいの風がちょうどいい」と言って、おじさんは空を見上げるのです。この出会いは衝撃的でした。青空に映える凧を高く高く、人よりももっと高く揚げるのが凧揚げの醍醐味だと思っていましたが、そのおじさんは見えない凧と一体になって風を感じ、毎日空を見ているのです。絵本は自己表現だというのは、人より目立ち人より売れる絵本を描く言い訳だったかもしれない。見えない絵本を描いてみなよという声を集平さんは聞いたそうです。
ここでもう一度、解説を交えながら朗読。
『土手の上で』の詳細な解説は『絵本づくりサブミッション』(1995年)に収録されています。
休みの日に土手の上で凧を揚げて一緒に過ごしたおっさんとぼく。エクスタシーともいえる特別な時間の共有、二人だけの秘密、非日常です。日常のおっさんとぼくは、目を合わせません。非日常を日常に持ち込みたくない。最後の2見開きについては特に詳しく解説しました。この表現について、批判的な意見もあったそうです。しかし絵本は本来、非日常に属していたのではなかったか。閉じられた絵本を開いた読者に語り始める。ページをめくるうちに非日常の中で絵本と読者が一体化する。そして閉じられた絵本はまた黙ってしまう。おっさんは絵本で、ぼくは読者と言ってもいいかもしれない。
BICの4色ボールペンと、数本の色鉛筆というシンプルな素材で描かれた、かなり複雑な構成の絵本ですが、テクニックや工夫を目立たせないように描きたかったという話で講義部分は終了しました。
放課後では、高田渡さんの息子に語りかける歌「漣」を紹介。
「──見えるものは、みんな他人(ひと)のものだよ ──見えないものはぼくらのものだよ」
この詩が『土手の上で』の二人に影を落としています。
『ゴンちゃん〜』の著者、飯田栄彦さんのお話や、九州人の芯の強さ、その引力にひかれていく集平さんの作品に度々出てくる四角い顔の男の子、おっさんのお話。『土手の〜』のおっさんが持っている本のタイトル、「愛とは何か?」これはどういう本ですか?という問いには、これは実在しない本ですが、デビュー作の『はせがわくん〜』からじわじわと考えていた愛について、このころは特に考えていた時期でした、という答え。心身がおかしくなるほど考えました、と。
東京時代、風景は見えてなかった。人にしか興味がなかった。あのころぼくが描く風景は抽象、記号だった。極端な場合は「人」「車」「田」などの字だけで描いた挿絵もあります。
長崎に来てから少しずつ風景が見えてきて、それが作品にも反映されていきます。ぼくにとっては大きな変化だったけれど、それを指摘してくれた人はいなかった。
次回話す『はなす』のあとヨット3部作までの約5年、絵本を描けませんでした。絵本を描くどころではなかったとも言えます、と次回の予告も少し。
放課後では、参加者のみなさんと今日の感想を言い合ったり、ちょっとした質問で集平さんが引き出しをいっぱい開けて答えてくれるところも醍醐味です。
最初のハプニングで、準備していた資料や映像を使えなかったのに、さすがの集平さん、おしゃべり一本でお届けしたスペシャルな濃厚な時間でした!(齋藤)
『ゴンちゃんなんばしよるとや?』挿絵。想像で描いた風景は甘木そのものだった。
会ったことのない母方の祖父、浦山貢は甘木出身。
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