── 『アイタイ』出ました!
集平 良かったですね。30年越し。1984年、講談社の雑誌「ショートショート・ランド」に描いた見開きのコミック「再会」が元になってるんだ。当時「こじこじランド」という通しタイトルで連載、ショートショートにイラストをつけたものとかコミックとか、いろんなスタイルで描いた。第14回が「再会」か。隔月誌だから長く続けてたんだね。
80年代はぼくの絵本のスランプ時代だった。絵に自信がなくなったのと、勉強不足のまま仕事を始めたことへの反省もあって勉強期間だったね。'87年にヨット三部作で復帰した段階でもまだ絵を描く自信はなかったんで、前々から村上康成と準備してた共作絵本になったわけ。
'79年にアメリカでスリーマイル島原子力発電所事故があって、日本でも反原発運動が起こった。そして'86年チェルノブイリの事故。高田渡が自転車に乗ってうちに知らせに来て「長谷川さん、世界はもう終わりですよ」と言ったのを生々しく覚えてるよ。チェルノブイリ以降、反原発運動が盛り上がって一種の流行になった。今回の絵本制作中「再会」もチェルノブイリ以降の作品だと思い込んでたけど実際はそれより2年前。事故以前から不安を抱えてたんだろうね。
ヨット三部作を出したブックローンが新刊絵本の依頼と当時絶版だった『はせがわくんきらいや』復刊を持ちかけてくれて、長いブランクから復帰することになった。そこで思い出したのが「再会」。'88年、32ページの絵本用に描き直したサムネイルを編集者に見せたけど、結局ダメだった。時代は一気にバブルの頂点に上がってく。そんな中でこの危機感は編集者にピンとこなかったんだろうね。90年代、絵本出版に絶望したぼくは岡山の仲間と地方出版で温羅書房を始めた。「再会」も出せたらいいなと思ってたけどすぐつぶれちゃって、その後ほとんど忘れてた。それが3.11があり、解放出版社の綱さんに『およぐひと』と一緒に「再会」のサムネイルと、津波をテーマにした絵本のアイデアを渡したら、『およぐひと』のあとは「再会」で行こうということになった。とにかく時間が経ってる。どう描くかを考えてて、古い絵本がこうして出版の機会を与えられた意味合いも込めて、絵を錆びさせようと急に思いついたんだ。年内出版は無理だというので、原画は年末まで手をつけなかった。実験だけはしてたよ。ダイソーで買ったホワイトボードを引っ掻いて、ベランダで雨ざらしにしてみた。
── 去年の6月5日〜18日ですね。京都出講のときには「毎日水かけといてね」って言われた。
クン 植木鉢の間に置いてね。
集平 テキストを見直して、次に『およぐひと』出版記念会の席で見せたいからと綱さんに言われてサムネイルを描き直した。『およぐひと』は全部ひらがなで書いてるでしょう。ぼくの本は子どもには難しいと言われ続けてるんで、それに対するアピールとして今回もそうするつもりだった。でも考えてるうちにカタカナにしよう、と。電報文みたいな感じね。ところがタイトルを「サイカイ」と書くと、西海、再開……いろんな意味を含んじゃうんでまずい。そこで繰り返し出てくる言葉「アイタイ」をタイトルにしたんだ。
そして秋、ゴーサインが出た……つづく
|
「シューヘー通信」76号。
『アイタイ』の原画テスト。ホワイトボードを引っ掻いて絵を描き、ベランダで雨ざらしにする。それだけでは水気が足りないと判断して、ジョーロで毎日水をかけた。
年末に描き上げたホワイトボード引っ掻き原画をこれから錆びさせるところ。マスクと塩水を吹き付けるスプレーが見える。
1月1日、諏訪神社の参道階段に毎年出るたこ焼きの夜店で。これを食べなきゃ正月が来ないのである。
|