あしたは月よう日
1995年1月17日、休日明けの火曜日の朝
淡路・神戸を中心に大きな地震がありました。
大変な被害があり、多くの人が亡くなり、傷つきました。
この絵本は、その朝まで、おだやかな
ふつうの生活を送っていた方々にささげたいと思います。
ありきたりの休日が、どんなに大切なものだったか
わたしたちは思い出すことができます。 ──まえがきより
ともすれば人は、なんの変哲もない日常に目を凝らすことを怠りがちですが、長谷川集平さんは、日常を凡庸に生きるしかない名もない人びとの幸福がどれほど何ものにも替えがたいものであるかということを、静かに描いてみせてくれました。そしてその幸福は、一瞬のうちに壊れてしまうものだということを、ぼくも含めた、神戸で暮らす人びとは身をもって体験したのでした。絵本に登場する一家が神戸の空に高く昇っていく見ひらきは秀逸です。夕方、駅前でラーメンを食べる一家を描く長谷川集平さんのまなざしが暖かい。題名も味わい深い。(児童文学者、高科正信さんからの手紙より)
2021年6月 香港で翻訳出版されました
2021年6月付けで香港の木棉樹出版社から『あしたは月よう日』が刊行されました。『はせがわくんきらいや』『れおくんのへんなかお』に続いて3冊目です。価格はソフトカバーで日本円にして560円ちょっと。たくさんの人に届きますように。
『明天是星期一』 木棉樹出版社 定價港幣40元
●新聞評
1997年11月26日 長崎新聞記事より
日常の大切さにスポット 庶民の平凡な生活描く
長崎在住の絵本作家・長谷川集平さんの新作絵本「あしたは月よう日」が、このほど文研出版から刊行された。舞台は阪神大震災が発生する前日の神戸。地震の惨状ではなく庶民の平凡な日常生活を描き、ありきたりの休日の大切さにスポットをあてた。作品誕生の背景や着想など、作品によせる思いを作者の長谷川さんに聞いた。
実際に阪神大震災が発生したのは、1995年1月17日、連休明けの火曜日の早朝だった。
「被害の起こる直前までの平凡な日常を描いて、被害の大きさを語る手法はよくあります。事件そのものを描くよりも、まったくニュースにならない平凡な日帰を描く方が僕の表現になリます」
兵庫県姫路市で生まれ育った長谷川さんにとって、神戸は小さいころから特別な街だった。
「正月に初売りに行ったり、休日に家族で出かけて食事をして帰ってきたり、もっと大きくなってからは、友人とコンサートに行ったりした。晴れの場というか、僕らにとって神戸に行くというのは特別な日だった」と振り返る。
神戸に知人が多い長谷川さんは、大震災の半年後に神戸を訪れた。瓦礫(がれき)の山、赤錆(さび)た建物の残がい。変わり果てた神戸の街の光景に、歩いているだけで船酔いしそうなほど息苦しさを覚えたという。いたたまれなくなって早々に立ち去り、帰る前に一軒のラーメン屋に入った。地震のために傾き、壁に生々しい亀裂が走っているその店で、「地震の前にはサラリーマンたちが、こうしてラ−メンを食べていたんだろな」と思ったのが、この絵本の着想のきっかけとなった。
「考えなければいけないのは、傷を受けた子どもたちが、どういうふうに癒(いや)されていくかということ。現実を見ていると暗くなるし、リアルな描写だと深刻になる。ならばどうやって明るいほうにジャンプするか。日常の中にこそ明るさがあったのではないかと見方を切り替えて、日常の中の明るさを見詰めようということです」
唯一、死者をイメージさせる表現として、空に昇って歌を歌うたくさんの天使たちが描かれている。
「僕が絵本で表現できることは、傷を受けた子どもたち、あるいは死んでいった子どもたちが、天使になって空に浮かんでいくという表現です。ポジティブな振り返り方をするしかないなと思います」
絵をよく見ると、テレビの上にミニチュアの「コッコデショ」が描かれ、この家族の過去の見えない時間を、読者に想像させてくれる。長谷川さんの絵本にはそんなさりげない仕掛けがちりばめられている。裏表紙には、お父さんの翌日のための通勤スーツとかばんがきちんとそろえられている。
「地震とは切り離して、ただ普通の日曜日を描いた、というふうに読んでもらってもいいと思います」
どこの家庭でも交わされそうな、ありふれた会話のやり取り。生き生きとした表情と動作。ありきたりの日常の大切さとともに、多様化し、また希薄になりつつあるといわれる家族のふれあいについても考えさせてくれる絵本だ。価格は1200円。書店で販売している。
忘れない勇気・灰谷健次郎 1998年2月4日 朝日新聞
(前略)人は生きるために、忘れなくてはならないこともあるが、より深い人間に近づくために、忘れないでおく勇気を持つことも必要なのだ。
遠くは日本の戦争責任の問題、近くは震災や神戸の事件。
長谷川集平さんは、この絵本を通して、人々に、そのことを考えさせようとしているように、わたしには思える。
(中略)
長谷川集平さんの絵本は、さりげなく、そして、やわらかく、人の、限りないいとおしさを描きながら、じつはその底流に、今、日本人が考えなくてはならない問題を、きびしく問うているのである。
集平がイタリアの雑誌に紹介されました
イタリアから世界各国に送られているインテリア雑誌「ABITARE(アビターレ)」に日本のイラストレーターとして『あしたは月よう日』の中から2枚のイラストと共にプロフィールも紹介されました。この雑誌は英語とイタリア語の二ヶ国語で書かれています。デザインの本場とあって、さすがにレイアウトもかっこいい仕上がりです。記事内容は以下の通り。
giappone
corrispondenza di/report by Kosei ShirotaniBorn in Himeji in 1955,Shuhei Hasegawa studied at the Musashino Fine Arts Academy (Tokyo) before embarking on his career as an illustrator of children's books, novels and non-fiction titles. He recently published a book (designed and written entirely by himself) commemorating the Kobe earthquake, and has illustrated a series of articles on juvenile delinquency for a well known Japanese daily.