コラム17
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●4月22日
西海市七ツ釜鍾乳洞の山道で水汲み。軟らかい水。地元の人はお茶や薬用に使うそうだ。
それから大島に渡り、弁当買って、さらにその先の崎戸へ。さびれた炭鉱の島。海岸で弁当食べて、ホイッスルを吹く。アイルランドのメロディが波の音に混じります。海が透き通って。
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●4月28日
日本人が金持ちになるに従ってまわりの人が高い楽器を持ち始める。へそ曲がりのぼくは逆に安物から人が出せないような音を出してやるぞと思ったものです。アイルランドの貧乏ミュージシャンがタカミネを弾いてるのを見るとホッとします。ぼくは画材も安物好み。今はサクラ・マット水彩を愛用してます。
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●6月2日
そろばんは楽器になりますよね。トニー谷の雄姿を観よ! そろばんとテイバーパイプ(片手笛)でワンマンバンド演ろう、とひらめきました。
テイバーは太鼓、パイプは笛(3穴の片手笛)でテイバーパイプ。中世のワンマンバンド。他の打楽器、鍵盤や弦を使うバリエーションもあります。そろばんでできないか、と。この動画はボーンズとパイプ。驚くべきことに笛も骨製です。
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●8月27日
77年に出た『黒人ブルースの現代』(三井徹)を読み返す。「アフリカ音楽には拍を三分する伝統がある」とブギのリズムを説明している。三連のノリがジグから来ていると認知されるのは最近のこと。アイルランド文化は隠蔽されてきた。それで説明不能の部分をアフリカに負わせていたのだ。
貧乏人がごっちゃになって歌ったり踊ったりするところを想像すればいい。相互に影響し合う。支配者階級は排他的だが下層は融合する。アメリカの最下層は黒人とカトリック、その他大勢。「リバーダンス」のテーマだったし、チーフタンズが長年主張してきたことだよね
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●11月20日
ガラの悪いアイリッシュと黒人を一緒にしておくとロクなことがないと両者はしばしば隔離された。が、黒人歌手はアイルランド訛りを完璧に真似したとラフカディオ・ハーンが書いたように彼らは影響し合った。リバーダンスのこのシーンをぼくは思い出す。
ティン・ホイッスル1本のアルバム「My Generation」を作った時、ジグやリール漬けになった。そうしてロックやブルースを聴くと全部アイルランド音楽に聴こえた。あそこでぼくは変わったと思う。同じ曲を演っても前と違う。
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●11月22日
きょうは絵本ゼミでタイタニック号とアイルランド移民、アメリカのマイノリティとポップカルチャーの話をした。こういうことのアウトラインだけでもつかめれば、世界が違って見えてくるだろう。
以下は書いた日、出典不明。だれかへの返事?
●アイルランドのダンスリズム、ジグやリールがわかったのはぼくは90年代の終わりです。それまでは2ビート、4ビート、8ビート、16ビート、3拍子、変拍子…という捉え方しかしてなかった。アイルランド音楽が世界の常識になっていくのは90年代。それでやっと、シャッフルはジグの変形、8ビートはリールの変形だとわかった。読み返すと、アラン・ロマックスなどはフォーク・リバイバルのころにすでにそういう見方をしている。アメリカのフォークやロックと日本のフォークやロックの決定的な違いはそんなとこにあったんだろうな。
ポイントは、ジグやリールはダンス音楽のノリだということですね。踊れるのが大前提。ジャズがダンス音楽だったのはスイングまで。モダンになると踊るより座って、瞑想する、思索する音楽になる。大衆音楽ではなくインテリ音楽になる。そこが、ぼくはなんぼジャズを聴いてもピンと来ないところです。まあ、ぼくも時には哲学的になって、ジャズを聴きながら物思いに耽ることもありますが、音楽を演る上ではほとんど影響を受けてない。演ろうとしてもできない。メチャ弾きすることはあるけど、ジャズにはならないね。
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●リアル・タイムで聴いた時には、アイルランド音楽だということがわからなかった。ブルーグラスのソロ・フィドルだと思っていた。それがケヴィン・バークという、その後のアイルランド音楽に大きな影響を与える人だったことも、90年代後半になるまで知らなかった。ぼくはアイルランドの歴史を知らなかったし、スコットランド音楽やイングランド音楽との違いもわからなかった。「ドラキュラ・ソング」にメロディを借りた「ステイン・モリス」をアイリッシュだと思って90年代初めにクレジットにそう書いたぐらいだから。それは正直に言っておいた方がいいと思う。
アーロの「ブルックリン・カウボーイ」でのアイリッシュ・フィドルはアイルランド人を勇気づけた。アメリカの人気アーチストのレコードに初めてアイルランドの伝承スタイルのフィドルが記録された、あれは歴史的なレコードだった。
そんなことつゆ知らず、ぼくらはアイルランドを長い間、見過ごしてきた。ぼんやりとしか知らなかった。それはおおかたのアメリカ人もそうだったんじゃないかと思うよ。ほとんどの日本人がキリシタンを知らないのと似ているかもしれない。加害者は被害者を忘却しようとするからね。
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●『アメリカ映画とキリスト教』(木谷佳楠 キリスト新聞)をこないだから読んでる。アイルランドを知らなかったのと同じく、ぼくらが多大に影響を受けてきたアメリカ文化とキリスト教の歴史、知らなかったことばかりです。アメリカってヒステリックな国だな、こんなとこには住みたくないなと思いながら読んでます。
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