アイゲリ!

コラム23
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●1月6日
シューヘーの1stアルバム(92年)やホームページの悪魔のイラスト(画像)は17世紀イギリスの反ピューリタン誌の表紙に描かれたもの。1stアルバムを作ったころのぼくは、ピューリタンによるアイルランド迫害を知らなかった。アイルランドの歴史を知ったあとに、この絵を使ってよかったと思った。

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●6月9日
映画「メリー・ポピンズ」(1965年)の誕生秘話「ウォルト・ディズニーの約束」(2013年)を観た。ポピンズの原作者パメラ・トラヴァースと製作者ウォルト・ディズニーのケルト系出自を明らかにしていて興味深かった。「バンクス氏の救済」という原題だけで泣けてくるポピンズ・ファンにオススメです。

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●9月24日
リモートおべんとう絵本づくり講座で青森の人たちが作る絵本の語り口に刺激を受けて津軽民謡を聴き直す日々。2002年に製作したCD-R「マイ・ジェネレーション」から津軽民謡「ホーハイ節」をYouTubeにアップしました。集平がアイルランドの笛1本で演奏してます。解説つき。

【ホーハイ節 - 長谷川集平】

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●9月26日
「ホーハイ節」を自分で吹いた録音を聴いて思うところあり、ティンホイッスルをまた稽古している。あの録音から来年で20年、その間にアイルランド音楽から受けた影響ははかり知れない。音楽の聴き方、演り方があそこを境目にガラリと変わった。もっと磨かなきゃ。

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●10月15日
長年、ザ・チーフタンズでアイルランド音楽の間口を広げ奥深くしてきたイーリアン・パイプ&ホイッスル奏者パディ・モローニ(写真)が亡くなったことをミック・ジャガーのツイートで知った。83歳。ご冥福を祈ります。彼の仕事にぼくは触発されて、長崎や日本を違う角度から考えるようになりました。

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●10月17日
『誰も語らなかった津軽キリシタン』(坂元正哉 1980年)高い古本で読んだ。流刑キリシタンを殺した津軽藩の動機を推理するインテリ歴史マニアから得るものはなかった。抑圧者の言い訳をわざわざする必要があるだろうか。津軽になぜケルトのリズムが伝わったのかという謎を解くヒントは見つけられた。

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●10月18日
『誰も語らなかった津軽キリシタン』の著者は東大卒だからか、津軽キリシタンは上流階級で、殉教の中心人物はインテリの医者だったと強調する。けれども、ぼくが注目したのは当時の東北がゴールドラッシュで、金山銀山に何万の労働力が全国から集まり、キリシタンの取り締まりも緩かったという点だ。

南蛮船の下級船員が持ってきたケルトのリズムは日本人をも踊らせる。福音によって古い差別構造から解放された無名の人たちは鉱山で働きながら歌い踊っただろう。キリスト教は排除されても歌や踊りは受け継がれる。かくして津軽にケルトのリズムがそれと意識されることなく伝承された、とぼくは考える。


ケルトのリズム、ハートビートとも言われる。メトロノームの合理的リズムではなく揺らぐ。ローリングストーンズのキース・リチャーズが「ロックはできてもロールは難しいぜ」と言う、そのノリは下層労働者の踊りに由来する。これがないと心も体も弾まない。高橋竹山の三味線にはそのロールがあるのだ。
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●10月19日
アイルランド伝承音楽バンドの来日公演、前半終了後にケルト音楽にくわしいFさんを見つけたので「いいですね」と話しかけたら「途中からウネリが出てきたね。このあと期待できるよ」と言う。ウネリ、それだ! と思った。それこそ南蛮船によって日本にもたらされ津軽三味線をドライブさせるロールだ。


岡田章雄『図会 キリシタン風土記』(1975年)再読。『誰も語らなかった津軽キリシタン』ではキリシタンはよそ者のように書かれているが、この本には「すでに関東から西は禁教と迫害の暗雲におおわれていたが、東北地方はなおキリシタンの安住の地であった」とある。しかし長くは続かなかったと。


昔、津軽では三味線の上手いことを「撥(ばち)の間がいい」と言ったそうだ。撥の一打と一打の間合いが踊りのノリとウネリを生む。よく似たノリとウネリがアイルランド音楽やブルースやロックンロールにもある。キース・リチャーズがギターを弾く時のあの独特のポーズは「撥の間」を表している。


おらが大阪の浪花座でやっていたとき一緒に安来節もやっていて、どしてどしてうまい人がいた。シャンコン、シャンコン、リズムにうなりがあるんだ…いまレコードをきけばあれは安来節でない、追分だよ。全然ちがう。──高橋竹山

「リズムにうなりがあるんだ」!

津軽の三味線のいつなんどきでも踊りが入れるような複雑なリズムのとりかたは面倒だんだ。おらの教えている津軽の人でもなかなかまだリズムをとれないでいる。津軽の小さい時から踊っている人はいまのリズムではいい踊りができないといっている。──高橋竹山
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●10月30日
『竹女ぼさま三味線をひく』(野澤陽子)はケルトのビートが津軽の三味線に伝わった謎を解くヒントを与えてくれた。三味線はキリシタン時代に堺で考案され琵琶のバチを使って弾かれた。当時キリスト教の布教に大活躍した盲目の琵琶法師、ロレンソ了斎はケルトの血を引くザビエルから洗礼を受けている。


高橋竹山の演奏からそれを聴き取るのは難しいが、この演奏には琵琶を感じる。『竹女ぼさま三味線をひく』の著者・野澤陽子は竹女が影響を受けたボサマ(盲目の門付け三味線弾き)は琵琶のように弾いたのではないかと書いている。ボサマ三味線のルーツは盲目の琵琶法師だったという興味深い推察。
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●11月3日
佐渡おけさにもケルトのビートがあります。九州から日本海沿いに伝わっていったのだと思います。

アメリカの辺境で被差別民(黒人、インディアン、カトリックなど)がブルースやヒルビリーを生んだように、日本でも辺境で音楽が活性化した。その典型が津軽民謡だ。迫害された先住民、キリシタン、身障者…極貧の人たちが文化の担い手だった。ロックンロールは目の前にある。文化の日にそう思う。

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●11月7日
天草〜長崎の「はいや節」が海路をつたって島根で「浜田節」、京都・宮津で「あいやえ」、新潟で「越後おけさ」、佐渡で「佐渡おけさ」、津軽で「津軽あいや節」になると実演を混じえて語る長谷川裕二(CD「地蔵伝承」 1996年)。その「はいや節」のビートは南蛮船がもたらしたというのがぼくの考え。

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●12月15日
あの「大工の聖ヨセフ」を描いた17世紀の画家ラ・トゥールによる「ハーディガーディ弾き」。当時、ハーディーガーディは乞食の楽器と呼ばれ、盲人が弾き歌った。津軽のボサマ三味線や琵琶法師と同じだ。ベガーズミュージックこそロックンロールの、そして集平絵本のルーツだ。

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●12月16日
ペイジ&プラント「Nobody's Fault But Mine」。彼らのいたレッドツェッペリンのレパートリーだが、もとは古い黒人ブルース。この演奏では昨日書いた乞食の楽器ハーディガーディが使われている。ロック音楽についての深い考察を思わせる。来日ライブを博多に観に行ったなあ。

【Nobody's Fault But Mine - Jimmy Page & Robert Plant】



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