集平セミナリヨ レポート10
集平リモート・セミナリヨ レポート


第10回
『7月12日』を語る

2024年1月17日

1981年 あかね書房


生涯に絵本10冊描けるだろうかとデビューしたころ考えていた集平さん、10冊目の『7月12日』を描いたのは5年目でした。前作『日曜日の歌』を描くことで自身の立ち位置が見えてきます。1980年から3年間は大きな変わり目でした。絵本の出版、雑誌の掲載、講座や講演会、バンド活動など多忙を極めます。絵本作家としての第一幕が閉じていく時期でもありました。このころ挿絵を描いた山中恒『おれがあいつであいつがおれで』では、きわどい挿絵を描くことで、子どもの本の常識からはみ出す勇気をもらい、高田桂子との共作絵本『ぼく、おにっ子でいくんだ』では、タイトルと同じく自分もこの世界の鬼っ子で行こうと自覚した作品になったそうです。

1980年1月から隔月で出版された雑誌「80年代」の別冊「90年代」では、保坂展人、李銀子、坂上紅龍、長谷川集平の個性の強い4者が集い、時代に押しつぶされて弱っている子どもたちを元気にしようと「元気印」を旗印にあらゆる活動をしていました。『日曜日の歌』の編集者ツネちゃんと組んだパンク・スカ・バンド「スペシャル・サンクス」のデビューは「90年代」がプロデュースした元気印大会でした。

1979年に結婚したクン・チャンとの東京での新婚時代、せまいアパート住まいから借家を借りられることになりました。東京の不動産屋は月給取りを優先し、絵本作家のような不安定な職業、それに絵描きは家を汚すというので、良い物件を見せてくれないことが多かったのですが、めずらしく新高円寺の不動産屋に勧められた大家と棟続きの風呂なしの借家に住みました。

カメラマンをしていたクン・チャンが使う暗室が作れたり、近所の商店街や銭湯へ通ったりと、初めての近所づき合いに、居心地よく過ごしていました。あっという間に2年が経った契約更新時、いい人だと思っていた大家さんから突然「出ていってほしい」と言われ、青天の霹靂。まだここに住んでいたいという二人の前に現れた、甲子園出場経験があるという大家さん自慢の息子(正確には娘婿)は、一瞬でヤバい…と感じるようなヤクザでした。住む権利を主張しようと六法全書で予習して臨んだ集平さんの話を聞きもせず、「出ていけ! お前らの顔は覚えたからな!」と捨てゼリフを残してその人は去ります。
予想外の展開に萎縮してしまって、暑いのに戸や窓を全部閉めきって鍵をかけて、外に出るのは怖いので二人で家の中の閉じこもって過ごすしかありませんでした。数日後の夜、電話がいきなり鳴ります。あのヤクザかもしれない…とヒヤヒヤしながら出ると、それはスズキコージさんからの「飲みに来いよ」というお誘いでした。家を飛び出して、タクシーを拾って、初めて行ったコージの家の中は壁も柱も天井も、コージのくねくねとした絵で埋めつくされていて、まるで大きな生き物のお腹の中にいるようでした。「家を追い出されそうになってるんだよ、また家探しだよ。でも、絵描きは結局いいとこに住めそうにないな」と話すと、「日本は芸術家を大事にしないからなあ。オレが少しいたパリだと絵描きだと名乗ったら『どうぞどうぞ』って、いい部屋見せてくれるよ。ここじゃ、力合わせてなんとかするしかないな。さあ、集平もクンちゃんも踊ろうよ!」と、その夜はみんなで歌ったり踊ったり、酔っ払ってそのまま夢の中。広い部屋に雑魚寝しました。夜が明け、ふと目を覚ました集平さんの前には、壁穴から入ってくる朝日に照らされたコージさんの絵の一部分が、その絵は日が昇るにつれどんどんと大きく広がっていきます。それは、城壁に囲まれた中世風の広場で住人たちが挨拶したり話したり踊ったりしている、見たことのない町の絵でした。寝起きでぼーっとした頭で「こういうところに住めたらいいなあ」と思ったそうです。
「ありがとう」とお礼を言って家路に着く集平さんは、さっき見た絵のような大きな町に、夢の隣に住めばいい、あの家に執着しなくてもいいんだという思いに満たされていました。

ここで『7月12日』を朗読。本作は、ポップな色合いでゆみちゃんの誕生日の一日が描かれます。
久しぶりにテンポのいい関西弁を使っているのは、『はせがわくんきらいや』と響かせたいという思いがあったからでした。
「せみが 2ひき ないている」最後に長谷川くんと田中くんがつかまえてくるせみも2匹です。せみの鳴き声、プレゼントのオルゴールの音、ハッピーバースデーの歌声、絵本の中から音がたくさん聴こえてきます。奥付けの、カラを脱いで羽化するセミは、この日を経験して少し成長した子どもたちを表しています。家を追い出される体験を経て少し成長した集平さんとクン・チャンもこのセミだったかもしれません。

この絵本の登場人物の髪はピンク色、とても印象的な色づかいについては、セックス・ピストルズを特徴付けるピンクと黄色を意識的に取り入れたそうです。この作品を読んだ絵本作家の杉浦範茂さんが、「髪がピンクなんてありえない、こいつは天才だ!」と言ったと伝え聞いた集平さん、美大浪人時代からのあこがれの人のその言葉に励まされます。

これまでたくさんの人に『はせがわくんすきや』を描いて欲しいとリクエストされた集平さんはナンセンスだなあ、『はせがわくんきらいや』は『はせがわくんすきや』でもあるのに、と思っていたそうですが、本作でそのリクエストにあえて応えています。7月12日は、クン・チャンの誕生日。主人公ゆみちゃんは、くみ子ちゃん=くみちゃんの言い換えですが、その後、長崎でゆみちゃん(曽我祐未)との出会いがありました。

人を好きになったり嫌いになったりという感情はとても大事なこと。それは愛の手前であり、好き嫌いを愛に昇華しないといけないはずなのに、好き嫌いの感情が今は希薄になっているのではないかと言う問いかけや、次につながる自分の、それまで見せなかった要素をいろいろ出せた作品だ、という話で講義部分は終了しました。

放課後では、講義部分では紹介しきれなかった初版(1981年)と改訂版(2008年)の違いを説明。
引越しを余儀なくされヤクザから隠れるように心細く過ごしていた当時、姪っ子の誕生日プレゼントを買いに行った本屋さんで見つけたレオ・レオニの『じぶんだけのいろ』を紹介。集平さんは、自分の色を持てなかったカメレオンが当時の自分と重なり、絵本を読みながらしゃがみ込んでしまったそうです。ぼくらはいつまでも自分の色を持てないんだろうかと悩むカメレオン、それは集平さんだったかもしれません。残念ながらね、でもぼくら一緒にいてみないかと言うかしこい年上のカメレオン、それはスズキコージさんだったかもしれない。二匹のカメレオンは自分の色は持てなくても、同じ色になりながら生きていけます。以前読んだ時には分からなかった、そうなってみて初めてわかる、その人の心の奥にまで届く、これが絵本だ! 自分もそういう絵本を描きたいと思った集平さん、失ったものよりも得たもののほうが大きかったようです。

好きな色は? の質問に「空気の青と蛋白質の黄色」と言ったダリを真似してそう答えていると集平さん。日本、アメリカ、ヨーロッパの色の好みの違い、日本ではあまり教えられていない色の意味などのお話に発展していきます。それぞれに重層的な意味を持つ色を、ただ自由に感覚的に使わないようにしているとお話しされました。それでいて理屈っぽくならないように。
絵を描くのが好きな子どもの感性を育てるにはどうしたらいいか? という質問には、イージーなハウトゥーやプログラムに頼るよりも、遠回りでも、子どもがすぐにわからなくても、ねばり強く、いい絵を見せ、いい映画、いい音楽、いい本を提供する、ぼくは親にそうしてもらったので、とのことでした。

最後は、こじこじ音楽団の「ここにいると気分がいい」を紹介。目に見えていることに執着せず、目に見えない夢の隣にいたい、と言う集平さんの思いが詰まった心に響く歌でした。最後の最後には、今日は紹介しきれなかったというある事件の予告をし、次回が気になる! ところで終了しました。

時間があれば、まだまだお話してくださる様子の集平さん、参加者のみなさん、濃厚で楽しい時間をありがとうございました。29年前の阪神淡路大震災が起きた1月17日ということもあり、さまざまな思いがあふれた時間でした。

(齋藤)









集平デザイン「元気印」ステッカー。


雑誌内雑誌「90年代」の4人。●クリックで拡大


パンク・スカ・バンド、スペシャル・サンクス。左からクン・チャン、集平、増田さん、『日曜日の歌』編集者ツネちゃん。




スズキコージ宅の壁に描かれた絵はこんなふう、と集平が再現。


セックス・ピストルズのピンクと黄色を意識的に取り入れた。


2008年復刊にあたりこの絵をレタッチ。草すべりしやすくなったよ。

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