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●ヤマハの4chカセットMTRによる一発録音。このCDを制作することで、シューヘー・サウンドが確立したと言っていい。長崎という環境に住まいを移した上で、フットワークの軽い演奏活動を進めるというのは難問だった。ライヴで動きまわるにしても、まず機材のシェイプアップが必要になる。身軽にシンプルに、この考えがレコーディングにも反映している。できあがったマスターテープを聴いてプロデューサーの下村誠が絶句してこう言った「シューヘーはシューヘーだ」。プリミティブなやり方が、結果的に今の大方のコレステロール体質のレコード作りの虚をつくように、化粧っけのない生々しい音楽を記録し得ている。チェロとギターとヴォーカルの微妙なからみと、目の醒めるような言葉の世界は、まさに前代未聞である。シューヘー・ライヴオープニングナンバー「夜の三角形」をはじめ、その後の彼らを決定づける10曲が大変な緊張関係で並んでいる。
▼チェロギタ・ロック
◆歌詞ページへ ◆インタビューへ●エンジニア吉田莉芭を長崎にむかえ、あえてマルチ・レコーディングを試みた理由は、このチェロギタというスタイルの可能性を試してみたかったからだった。とはいうもののデジタル・マスタリングに至るまでの音作りのコンセプトは、あくまでライヴにリアルにという感覚が細心に貫かれている。シューヘーは、おりしもシアトルから聞こえてきたグランジ系の響きなどを取り入れ、またブルースやトラッド、はたまた映画音楽など幅広いルーツをもユーモアたっぷりに導入している。ラヴソングに新境地が見られるのは、チェロギタ・ロックの思春期ということなのかもしれない。ファーストでは試行錯誤中だったギターとチェロの音色も、適切なアンプを使用することで落ちついてきた。ギターは全編モズライトで、それがまたこのアルバムのサウンドを特徴づけている。「ここにいると気分がいい」はクロージングナンバーとして評判が高いが、むしろ早い曲に注目すべきだろう。
▼three-legged(二人三脚)
◆歌詞ページへ ◆インタビューへ●シューヘーは開き直った。ええい、ままよとばかり自宅の狭い練習スタジオに入り、3日間ですべてを録り終えた。まるでだれかに緊急報告を書くような性急さの中で事は成し遂げられた。そしてこの緊急報告はこの上もなく魅力的で過激だ。セカンドがチェロギタ・ロックの「チェロギタ」にアクセントを置いたものだったとすれば、今回は「ロック」にこだわったものだ。選曲は20年以上も前のレパートリー「いつも」から、その場でまとまった「しめきり」まで新旧とりまぜ、ごつごつした石ころみたいなのがごろんごろんと並んだ。このテの音楽を初めて聴く耳には、少しばかり暴れた感じに映るかもしれない。しかしこれは等身大のオリジナルなロックの実にレアなドキュメントなのだ。雨の街頭で歌われているように演出された「貧乏人の歌」がレコーディング前に起きた阪神大震災の被災者の群れを思い起こさせるのにも理由があるのだ。
▼ワカンナイド(WHATCANIDO)
◆歌詞ページへ ◆インタビューへ ■CD評へ●待望の4枚目は日常語「わかんない」と英語「What can I do?」の合成語「ワカンナイド(WHATCANIDO)」と名づけられた。アルバムをトータルな表現媒体として構成した傑作である。ここで初めて集平本人がイラストレーションとデザインを担当したのも上のような理由からだろう。マックなCGには意表をつかれるが、進化した音楽や言葉とともにサイバーでモンドな(?)現在をトリミングして見せてくれる。エレキ・チェロの導入。彼らの原点でありながら、これまで小出しにしかしてなかった前衛音楽指向が全面に押し出され、ルーツ・ロックとの絶妙のモンタージュがすごい。カセットMTRによる自宅録音は、なんかもうあたりまえの道具を使うようにシューヘー・ワールドの文体になっている。クレジットを見ればわかるが、このCDを作る上で手を貸したのは、デジタルマスタリングの阿部健司だけである。まさにシューヘーのミラクル引き算。人員削減はけっしてリストラではなく、CDがどれだけ個的でダイレクトなものになれるかという問いかけなのだ。児童合唱による「遠雷」で泣け。
集平のティン・ホイッスルソロ・アルバム
▼My Generation
●集平がティン・ホイッスルのソロ・アルバムを発表しました。 1,000円のジェネレーション製D管ホイッスル1本だけで録音した無伴奏曲集です。 アイルランドの伝承曲、カクレキリシタンの歌、謎のわらべうた「でんでらりゅう」、中国伝来の明清楽、そして長崎と関係の深い津軽民謡から現代の聖歌、ロック・ミュージックに至る空想の旅。